「明日から4日間、スケジュールが空いた…」
それは偶然の産物でした。 コロナ禍のリモートワーク推奨期間中、奇跡的にスケジュールに予定が入らない空白の4日間が生まれたのです。
「行くなら、今しかない」
私はその場の勢いで小田原のホテルを予約しました。 当時はコロナ禍の初年度。どこのホテルも空いており、当日の体力次第でどこに泊まるか決められる状況だったのは、どれだけ走れるか分からない私にとって幸運でした。
目指すは、江戸時代の旅人が歩いた道、「東海道五十三次」。 東京・日本橋を起点に、品川、川崎と宿場町をチェックポイントとしてクリアしながら西へ進む。 ただし、背中には「仕事道具(PC、電源、書類)」7kg以上という鉛のようなハンデを背負っての挑戦です。
今回は、甘い見通しで挑んでしまった私が、箱根の山で味わった「地獄」と、そこから学んだ教訓をお伝えします。
1. 【Day 1】 東京〜小田原(約90km)
「王将のアクリル板と、予想以上の疲労」
2020年6月6日(土)10時に日本橋を出発し、品川宿、川崎宿と、かつての宿場町を順調に通過していきます。 日頃の通勤ライドと江戸川100キロを何度かこなしていた私は「これなら余裕かもしれない」 最初はそう思っていました。
しかし、PCを背負ってのロングライドは、ボディブローのように体力を奪っていきます。平坦な江戸川100キロを何度か走っていても、アップダウンのある一般道で7キロ超の荷物を背負って走行するのでは、体力の奪われ方が違ったのです。
初日の目的地は、無理をして箱根の麓まで行くより、手前で体力を温存し、万全の状態で翌日の山越えに挑む作戦で、あえて「箱根」の少し手前の「小田原」に設定していたのですが、体力は小田原でギリギリでした。
小田原城の近くのビジネスホテルにチェックインし、夕食のために近くの「餃子の王将」へ。 席と席の間には、透明な「アクリル板」が設置されていました。 一人でカウンターのアクリル板に挟まれながら食事をしていると、改めて旅が始まったんだという気持ちになりました。餃子を頬張りながら、私は自分が思っている以上に疲労困憊していることに気づきました。初日の緊張と、背中の重み。
「明日、本当にあの山を越えられるのか?」
不安を抱えながら、泥のように眠りました。
2. 【Day 2】 小田原〜清水(約95km)
「小銭がない! 旧道の激坂で犯した最大のミス」
翌朝。ホテルでしっかりと朝食を摂り、いよいよ最大の難所「箱根」へのアタックを開始します。 時期は6月初旬。梅雨入り前の湿った空気が体にまとわりつきます。
ここで私は、致命的なミスを連発してしまいました。
ミス①:ルート選択の誤り
箱根を登り始めてしばらくすると、想像を絶する勾配の坂が現れました。 どうやら私は、なだらかな国道1号線ではなく、かつての旅人が歩いた「旧道」の方へ迷い込んでしまったようでした。 壁のように立ちはだかる坂道。7kgの荷物が肩に食い込み、前輪が浮きそうになります。
ミス②:水分と「小銭」の欠如
これが決定打でした。 激坂と湿気で、汗が滝のように吹き出します。持参した500mlのペットボトルは、登り始めてすぐに空になりました。
「まずい、水がない…」
道中、自動販売機はいくつかありました。 しかし、財布を開けて愕然としました。小銭がないのです。 当時はまだ電子マネー対応の自販機など山の中にはなく、お札も千円札が切れていました。 目の前に水があるのに、買えない。 これほどの絶望はありませんでした。
3. プライドを捨てて、自転車を押す
「先輩の激と、限界のその先」
水分が尽きた私は、もはや「サイクリストとしてのプライド」を保つ余裕などありませんでした。 少しなだらかな傾斜になれば自転車にまたがり、ペダルが回せないほどの急勾配になれば、すぐに降りて、一歩一歩、自転車を押して歩く。 その繰り返しです。
「まだ半分だぞ~!」
私にそう激をとばしながら、かなり年上の元気なサイクリストたちが、涼しい顔でスイスイと追い抜いていきます。 「情けない…」 悔しさがこみ上げますが、反論する元気もありません。 体中の水分が抜け、喉が張り付き、頭の中は「水、水…」という思考だけで埋め尽くされていました。
4. 茶屋で知った「命の水」の味
登り始めて約2時間。意識が朦朧としてきた頃、視界に「茶屋」の暖簾が入ってきました。 まさに砂漠のオアシスです。 私は転がるように店に入り、お水を頼みました。
「どうぞ」と出されたお水。 私は立て続けに三杯、一気に飲み干しました。
あのおいしさは、一生忘れないでしょう。 高級なワインでも、どんな有名な天然水でもない、ただの茶屋のお水。 しかし、枯渇した細胞に染み渡っていくその感覚は、まさに「命の水」でした。
「生き返った…」 ようやく人心地つきました。
後に知ったことですが、私が立ち寄ったのは「甘酒茶屋」という、江戸初期創業で約400年も続く老舗でした。 かつて東海道を歩いた江戸の旅人たちも、この場所で同じように喉を潤し、箱根の厳しさに立ち向かったのでしょう。 時を超えて、現代に生きる私もまた、同じ水に救われました。
箱根の関所まで「あとどれくらい続くのだろう」という不安はありましたが、歴史ある水で満たされた体は、再び動いてくれました。
5. 唐突なフィナーレ、そしてご褒美の海
茶屋を出て少し走ると、拍子抜けするほどあっけなく、その瞬間は訪れました。 目の前に現れたのは、「箱根の関所」。 なんと、私はもう頂上エリアに到達していたのです。
「終わった…!」 登りきった達成感と、あの無限に続くと思われた上り坂からの解放感。 そして、ここからは待ちに待った「ご褒美タイム」です。 三島へ向かう長い長い下り坂。漕がなくても加速する爽快感。箱根を越えた者だけが味わえる特権です。
下りきった私は、沼津市の景勝地「千本松原」へ立ち寄りました。 目の前に広がる駿河湾。 靴と靴下を脱ぎ、海に足を浸しました。冷たい海水が、酷使した足を癒やしてくれます。 「東京から自分の足で、ここまで来たんだな」 波の音を聞きながらまったりと過ごしたこの時間は、過酷な記憶を「良い思い出」に変えてくれました。
6. 清水の夜、そして西へ
「ワーケーションは続く」
沼津の千本松原で一休みした私は、「午前中の箱根であれほど体力を消耗しながら足を使った割には走れるな」と、沼津宿 → 原宿 → 吉原宿 → 蒲原宿 → 由比宿 → 興津宿と一気に駆け抜けました。その日は、清水駅近くのビジネスホテルにチェックイン。 しかし、私にはまだ「業務」が残っています。疲れた体でコインランドリーを回しながら、PCを開いてメールチェックと資料作成。 不思議と仕事への集中力は高く、心地よい疲労感の中で一日を終えました。
この旅で得た教訓
- 小銭を持て: 山に行くなら、電子マネーだけでなく「100円玉・1000円札」を必ず用意する。(命に関わります)
- 機材は軽い方がいい: あの旧道で、もし自転車が重かったら、押して歩くことすら諦めていたかもしれません。「9kg台の軽さ」と「軽いギア」が、最後に私を助けてくれました。

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